マヤ反薬物トランスナショナルオンラインコンテスト。反アルコルや薬物中毒ビデオ、写真、ポスター、絵画

  • 23.02.2013     12:51     154日     リュドミーラ

    全て終わっている

    私は好きな彼氏をできたのに、生活が変わらなかったです。彼は二ヶ月間、私の依頼を無視していた。少し時間が経ってから、よく私のところに来ることになった。


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  • 06.02.2013     08:42     142日     リュドミーラ

    初恋

    恋っては色々あるようね...私の初恋は本当におかしかった。私のクラスメートのお兄さんを前も見ていたが、ある瞬間すごく好きになっちゃった。


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  • 25.01.2013     16:51     131日     リュドミーラ

    私はまだここにいる。

    私には女性刑務所での道徳やどのように女性がそこに住んでいるかについてよく聞く。男性の煙所では全て単純、かつ明確である。それは採用されている暗黙の法則がある。その法則に従わないければ生きていけない。女性刑務所では全て単純、それぞれの自分なりの法則がある。共通の概念や法則がない。みんなに尊ぶされてる人や落ち込んでいる人はいない。権威のある人もいない。女性刑務所の主な居住者は犯罪界に関わらない。その多くの居住者は他人犯した犯罪のため、刑務所に収容された。


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  • 06.12.2012     10:05     86日     リュドミーラ

    健康省は何を考えているのだろうか

    いつも同じことは書きません。時には言葉がすぐ頭に浮かんで来るが、今日はそうではない。身体的にも心理的にも苦しい状態です。


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  • 03.12.2012     08:56     83日     リュドミーラ

    ハッピーエンド

    中毒者はみんなが同じではない。もうあなたたちが私の話の中での悪者を知っているが、私には他の例もある。それは人が多くのことを経験した上で、自立して、普通の生活をし始められることについてある。そんな人々が多くいてほしいが、このような例もある。
    メタドンプログラムで、リリヤという女性に会った。彼女は不安定な家族で育った。彼らの父親は去り、母親はアルコール中毒になってしまった。実際には、彼女を隣人、そして母の友達が育てていて、彼女は二軒の家に住んでいた。それから、彼女の母親が亡くなり、リリヤができる限りで暮らし始めた。14歳でお金を稼いでいたし、「計画通り」に大麻を収集に行っていた。


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  • 30.11.2012     19:56     80日     リュドミーラ

    汚名

    明日は世界エイズデーです。私は偏見や差別についてのレポートを書いた。そして前のことを思い出した。息子は私の病気について誰にも言いたくない、それは彼にとって恥ずかしいです私は息子のことを十分理解できる。しばらく時間経ってから市民社会がエイズはマスメディアを介してお金を稼ぐ人たちが作成したギョッおとぎ話であることを理解することになる。
    実際に、エイズとは何でしょうか?これは普通の慢性疾患である。これよりももっと重苦しい病気がある。人の免疫系が弱ければどんな病気でも大変です。私達、HIV陽性の人々にとっては、風邪を引いたの人々の隣に滞在するのは危険です。HIV陰性者、つまり普通の人はHIV陽性者と同じ食器やタオルなどを使っても危険です。そんな場合は普通の人は何も病気にかからないのに、HIV陽性者は病気になりかねないです。HIVというのは血液や性交によって感染する。結局、HIV陽性者とHIV陰性者、お互いにとってはどちらがもっと危険ですか?


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  • 23.11.2012     09:37     73日     リュドミーラ

    シベタとエフェドリン

    私の人生に多くの人々がいました。それらのほとんどは、何の痕跡も残っていないが、いくつかの印象的な運命があります。最近、私は一人の女性を思い出しました。彼女の名前はシベタであり、本当の麻薬依存者の例で、麻薬の服用量のため自分の母親を販売して、子供も差し上げるほど麻薬に中毒されていました。


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  • 21.11.2012     16:01     71日     エヂック

    言うことは何もありません

    もう3週間家でのんびりしてる、どこへも行きたくない。気持ちが沈んでいる。この人生の意味が分からない。僕の目的や計画、希望がない。一日間の生活に慣れた、しかし今それも退屈だ。


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  • 19.11.2012     09:33     69日     リュドミーラ

    父親

    父親と一緒に住んでいなくなったのは私が2歳の時からです。彼は非常に嫉妬深かったし、毎日お酒を飲んで母を殴ったりしていました。母に仕事をすることも禁止していました。彼の嫉妬で母がいつも顔や髪を隠し、修道女のようにハンカチでラップしていました。母の兄弟は何度も、父を鍛え殴り殺していたが、お酒を飲まないときに、悔い改め、そして、彼女は彼を許していました。私たちが住んでいたウラル山脈にある町は、小さな町で、誰もがお互いを知っていて、離婚した母親になることは大きな恥と考えられていました。


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  • 17.11.2012     08:59     66日     リュドミーラ

    お母さん

    明日は母の命日です。他界してから14年間経った。今までずっと罪悪感に苛まれています。 10年前、私は毎日詫びていたことを今思い出しました。私は彼女のことを考えていなかった日がなかったです。最後の4年間は、それが良くなった、彼女は私を許したように感じています。もしかして彼女は私が気持ちを切り返して違う生活スタイルをしていることを見たかも知れないです。


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