マヤ反薬物トランスナショナルオンラインコンテスト。反アルコルや薬物中毒ビデオ、写真、ポスター、絵画

  • 26.09.2012     15:41     15日     エヂック

    死を目の前にした

    2006年の始めごろに従兄弟と居住していた。私の家のドアも窓も壊れていたので寒かった。だから従兄弟の家族と共に生活するようになった。母親はどこに住んでいたか分からなかったが、母親は毎日に私を訪ねていた。ある日、三日間も合わなかった。その時近所の人から電話がかかってきた。近所が電話して私の家の中で誰かが呻いていることを言った。私はまっすぐ家に飛んできた。
    帰宅して母親の様子を見てとてもびっくりした。母は毛布で覆われ、高熱でベッドに横たわっていた。以前母親が治療に通っていた医者のことを思い出した。医者のところへ行った。医者は温度に丸薬を処方してもらった。


    次…
  • 24.09.2012     15:17     13日     リュドミーラ

    『ブレークダウン』


    時々心変わりがあったりもしましたが、9年間メタドンプログラムを受けてきたことは正しい判断だったと思っています。私のプログラムの最初の年は素晴らしかった、
    私の魂と体はリラックスしていて、よく休息が取れていました。
    私は多くの問題を取り除いてきました。薬物のレースはもうありません。
    お金を探す必要がなくなり、今では多くの時間があります。
    朝起きるときに今日もきつい一日が始まると考えなくてもよくなりました。
    最も重要なのは、もう警官のことを気にしなくて済んだことです。それは楽園で す!自身がHIV陽性にもかかわらず、約20キロも入手していました。


    次…
  • 21.09.2012     18:42     10日     リュドミーラ

    悪が少なくとも

     メタドン補充維持療法というプログラムの実行することについて2年前に知っていた。当時、麻薬中毒者たちはいかにして麻薬を合法的に手に入れるのかと熱く議論していた。いったい私も楽しみにしていたが、急に。。。。2003年にプログラムが実施されたことを初めて聞いたのです。次の日はアリガとスラビックと一緒に国立治療所に行った。治療の制限が十分重度であった。薬物乱用経験は15以上でなければならない。このプログラムを申請する前に、中毒者は国家立治療所で1未満または2回処理されている必要がある。しかも分析は、体内のオピオイド薬物の存在を示していることです。ですから手続きが終わるまでに私たちは一ヶ月ぐらい待っていた。この情報が確認後、私たちはメタドンの使用量を定義するために病院に収容された。 10日間後、プログラムに参加できた。


    次…
  • 19.09.2012     14:39     8日     エヂック

    「私の生活に足を踏み込んで欲しくない」

    私は昼ずっと寝ているだけですが夜は働きます。午後4時から5時くらいに起きて友人と会って、いろんな問題を解決します。夜、9時に仕事へ行きます。日常的な問題の解決方法について考えます。私は恵まれた良い生活をしていると思います。

    私にとっては家族や母親のことがとても大切です。母親はいつも支えてくれます。親しい友達には母親の病気のことは隠しません。彼らはお互いをよく知っています。私が誰と何処にいるか母親はいつも知っています。母親の過去のことは親子の関係にどのような影響を与えるかわかりません。


    次…
  • 18.09.2012     11:03     7日     リュドミーラ

    エディックの目に映る恐怖

    私の息子は20歳です。彼は成熟しているように見えますが、
    彼が経験してきた苦痛や道徳的な痛みが彼を脆弱で非社交的な人間に変えました。
    小さな問題は、彼を崩壊へと導き、弱気になっている時には多くの失敗を招く。


    次…
  • 15.09.2012     08:35     4日     リュドミーラ

    切り狂言への道

    難しい一ヶ月だった。意気消沈の状態だった・・・主な分析を通過した後、1年間で体が15〜20年に衰えたことを感じました。一年前、抗レトロウイルス療法は私の顔だけを醜くすると思っていたのに・・・・

    これはHIV陽性者援助センター「ロッススピット」の研究者のせいだ、彼は私の病態を詳しく診療せずにスタブジン薬を処方したためだ、しかも彼は治療がどう進んでいるか一度も聞いたことがなかった。

    私は治療させている医者と1年4ヶ月に会ったとき、彼はこの治療法をすぐにキャンセルしてくださいと言った。この1年半で私は重体の20キロを失った。足腕がとてもやせすぎた、皮膚がしわだらけになり、顔は焼いたりんごのようになってしまいました。


    次…
  • 12.09.2012     12:00     1日     リュドミーラ

    いかに命をながらえるか―それが問題

    じゃ、みなさん、始めましょうか。まずは、私が何に触発されてこのブログを書くことにしたのか、そのことから話したいと思います。大げさに聞こえるかもしれませんが、これは私にとって神様の前で悔いあらためることなのです。神様、どうか赦してください、お願いですから一人でも、かつての私のように奈落の底に落ちそうになっている人を助けてやってください、遅すぎるということは決してありませんから、という気持ちです。もちろん、お金や物だけが問題ではないのでしょうが、そんなこと、いい子ぶって言ってはいられません。栄養のあるものを食べて治療薬を買って、どうにか命を長らえることができるかどうか、まさに問題なのです。

    きょうだって、この一か月具合が悪くて、もうへとへと、気力だけで生きているような状態です。いろいろ考えたり、あちこち行ってみたり、これからどうするか計画を立てたりはしています。具合が悪くなったのは、よくある食あたりが始まり。その後は一つ病気がよくなったかと思ったら、次は薬の副作用で具合が悪くなり、また別の病気、消化器カンジダ症だって診断されて・・・


    次…