マヤ反薬物トランスナショナルオンラインコンテスト。反アルコルや薬物中毒ビデオ、写真、ポスター、絵画

  • 14.11.2012     16:14     64日     エヂック

    一人で

    ある日の朝、私とお母さんが警察に起こされた。彼は私たちの家から隣人の家に誰かが渡してなべを盗んだことを言った。私たちは警察署に連れて行かれた。私は静かに落ち着いていた。11歳の時、家からお母さんから分離させてこんな問題が起こると想ってもいなかった。


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  • 12.11.2012     15:41     62日     リュドミーラ

    刑務所

    刑務所内で2ヵ月後、私は女性の刑務所に連れて行かれた。怖かったが、2ヶ月の刑務所コースを通過した後、私はもっと大胆になった。


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  • 07.11.2012     14:59     57日     エヂック

    交通事故

    数日前に交差点で待っていた。その時、赤信号にもかかわらず急にあるミニバスは交差点を渡そうとして通っていた車をぶつかって、いくつかの車をゆがんで僕の車に飛び掛った。当時、何があったのかすぐにわからなかったです。車から降りたところ、誰かが怒鳴っていたのを聞いた。それは「ジグリ」とう車の運転手だった。ミニバスの運転手は彼に「おい、何で赤信号に通っているの?!」っとしかっていた。しかし、そのミニバスは赤信号を渡そうとしたのを認めた人々が多かった。


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  • 05.11.2012     07:49     55日     リュドミーラ

    黙って、お互いを憎みながら

    私はあのとき、非常に困っていて、刑務所に座礁させられるところだったが、保護者が守ってくれました。しかし、悩みは想像外のところから来ました。新しいジグリの「6番」を購入して、休みながら夫とトランプをやっていた知り合い(カタラ①)と一緒にイシククリに出稼ぎに行きました。夫は、もちろん、ちょっとお金に関心を持っていました。たとえば、彼はゲーム内に存在する第三者としてゲームの規則などを監視していました。全く参加していなかったが、監視することが彼の趣味でした。人についてもっと知るようになりますからと彼が言っていました。
    それで、帰りに私たちは2つの車に止まらせました。我々は何もないから、心配していなかったです。私たちは休みに行っていたので、純粋なモルヒネしかもっていなくて、それも少ししか残っていなかったから帰りに最後の残党を刺していました。我々が警察に連れて行かせ、別々のところに座らせました。一日ずっと部屋の中で今後のことを考えながら過ごしました。何も言われなかったし、何も聞かれなかったです。それで、帰宅の準備をし始めました。


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  • 02.11.2012     07:47     52日     リュドミーラ

    罠にはめられた

    私はフリーに刺してもらっていたとき、麻薬使用を続けていくため、一日は一人の労働者の平均的なサラリーと同じぐらいの月給のお金が必要でした。こんなお金がいつにも持ったことがなかったが、やめることもできなかったです。みんなが分かると思いますが、私がそれにもう依存してしまいました。麻薬なしでは人生の意味がなくなったです。とても大事なのは高揚した気分、人工喜び... - そして、最も重要なのは、私がこの状態が大好きだったことです。
    停止したときに私はすでに平均的な労働者の月給が必要だったので、私は急上昇し続けることができます。お金の種類は、私はいませんでしたが、私が辞めなければならないのですができなかった。あなたは、私がしっかりとこれに関与していた、知っています。薬物なしで人生の意味を失ってしまった。


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  • 31.10.2012     09:36     50日     エヂック

    もう結構だった

    麻薬中毒者のことが大嫌いで、僕の意志であれば、そんな人を殺したと思う。もし、母親の昔の友達をみたら、原が経つ。私が覚えている限りでは母親がいつも刺していたことを気づいていた。しかも、僕はその麻薬注射はいったいどんなものかをいつになって分かってきたかも覚えていない。もしかして、悲しみが胸の中でいっぱいになって、我々は道でぶらぶら歩き始めた時に感じたかも知れない。確かに、母親が麻薬中毒で死んでしまうところだった時に、もっと大嫌いになった。しかし、13歳のころ、何か人生が変わってきた。。。

    もし、「母親とはどんな関係ですか?」と質問されたら、私は僕の母親は麻薬中毒者ではないと思う。現在、麻薬注射でも、何も使用していない。メタドンは飲んでいるが、それは薬として使っている。また、彼女は働いているし、組織でのプロジェクト計画をたてたり、色々なイベントなどに参加したりしている。ですから、麻薬中毒者はこんな生活をするのですか?


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  • 29.10.2012     13:12     48日     リュドミーラ

    最初の注射

    大学の4年生のころ、中学校で一緒に勉強した元近所の女、ナターシャと偶然に会った。彼女は親切で素敵な人だった。彼女は身体障害者と結婚して8歳の息子を育ていたことを知っていた。当時、私は彼女の心の豊かさに気付いた。彼らは自宅も車も持っていた。いつも家に招待してもらっていた。最初に時々断っていたのに、だんだんいつも彼らにところへ行くことになった。


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  • 27.10.2012     08:12     46日     リュドミーラ

    魂の清め

    入院する前、偶然、手にしたのは「神への道」と題するパンフレットだった。堕落と汚れと罪だらけの人生に疲れたある人が、神に「御身のもとへたどりつく道を示し給え」と祈りはじめた、とあった。教会にも通ったし、教派も変えたが、生きていても何も変わらなかった。全てが元のままだった。巡礼者に出会い、どうすればいいのか、どうすれば楽になるのかたずねてみた。巡礼者は答えて、「許しを請え、懺悔しろ」と言う。長いこと自分の犯した罪を思い出しては悔いあらためてみたが、何も変わらなかった。それどころか、罪の重みがどんどん増して彼は全く絶望してしまった。すると、別の巡礼者が現れて言った。「神は汝の罪咎を引き受けるため、ひとり子を暗闇のこの世に送り給うた。汝の罪はゆるされた。過去も未来もそして現在の罪すべてにおいて赦されたのだ。ひたすらに心からこの赦しを受け入れるがよい」


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  • 24.10.2012     15:55     43日     エヂック

    死亡について

    親しい仲間の誰かに死なれた時の気持ちを伝えるのはなかなか難しいでしょう。私は20歳で、すでにそんな人たちの2人を失って、もう一人を失ってしまう可能性の状況です。
     まず、私のお祖母さんが亡くなりました。私は6歳のころでしたが、すべてを覚えています。私は祖母さんが死ぬ前に一番最後に見た人でした。祖母が麻痺し、その日、自宅で身を横たえていました。当時、私の母はお祖母さんにお茶を作るために台所に行って、私も母と一緒でした。彼女は大声で呼吸していました。非常に私を愛していることを私に言って、今から死ぬとも言っていました。私も母のことをとても好きだと言った後、母が喘鳴を止めました。


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  • 22.10.2012     10:43     41日     リュドミーラ

    遅すぎていない限り

    私の健康上の問題の話はもったいない話です。また、予後は非常に残念です。目の痛みが出始めたとき時、高温や血圧から回収してきました。一目に網膜に緑内障を持っています。 2ヶ月前、私は眼科医の診察を受けていた。その時、私は、増加した眼圧で悩んでいた、当時 医者は年月とともに緑内障を得ることのリスクについて私に警告した。医者が言ったように、私は圧力を扱ってきたが、2ヶ月ではなく、数年後に、私は緑内障を得た。医者に治療を処方してもらいました。私はいつも目に薬を滴下しています。しかし今、私は別の問題を抱えています。一週間後、眼カンジダ症になった。免疫の弱い体に薬が効かないです。改善はまだ感じていないです。私はビシュケクエイズ保健センターで働いていた私の元医師に相談に行きました。彼女は私の免疫システムが向上しない限りそのまま治療し続けると言ってくれた。


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