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ハッピーエンド

03.12.2012       08:56       83日       リュドミーラ

中毒者はみんなが同じではない。もうあなたたちが私の話の中での悪者を知っているが、私には他の例もある。それは人が多くのことを経験した上で、自立して、普通の生活をし始められることについてある。そんな人々が多くいてほしいが、このような例もある。

 メタドンプログラムで、リリヤという女性に会った。彼女は不安定な家族で育った。彼らの父親は去り、母親はアルコール中毒になってしまった。実際には、彼女を隣人、そして母の友達が育てていて、彼女は二軒の家に住んでいた。それから、彼女の母親が亡くなり、リリヤができる限りで暮らし始めた。14歳でお金を稼いでいたし、「計画通り」に大麻を収集に行っていた。

リリヤはとても美しかったし、16歳で彼女よりずっと年上の男と結婚し、それも長く続いていなかった。それで周辺に住んでいた男が美しい女性が好きになって、彼女のところにやってきた。彼はとても生意気で「いいえ」と断ることが分からなかった。90年代では犯罪が横行し、彼が平気に来て彼女を家族から連れて行った。もちろん、最初に彼女は抗議したが、彼の決意と偉そうだった性格に征服された。彼女は彼と一緒にいたら、保たれると思っていた。しかし、そうではなかった。。。

彼は麻薬を注入したり、略奪、強盗、恐喝などをやっていて、これらの全てに彼女を利用していた。彼女も注入させられるようになった後、母親の家を売って、そのお金も麻薬に使い切った。彼らはいつも警察から逃げて、アドレスを変えたりしていた。彼から、離れることはできなかった。もし、そうしたら、彼が彼女の前で一人を殺したように彼女も殺されたかも知れないから。

ある時点で、それは全て終わってしまった。彼は逮捕され、リリャは数年にロシアへの逃げていかなければならなかった。彼女が戻ってきたときも、彼はまだ刑務所にいたが、彼女に送り物とお金を求めていることを思い出せていた。

国にはメタドン治療が新しく入ってきた頃、彼女もそこに治療を受けに行った。しばらく経った後、注射器を配布するところに勤めた。他の仕事を探すのに彼女の履歴書ではなかなか難しい。最初の頃は我慢できなくなったりしていて注入したり、タブレットを飲んだりしていたが、その後は、彼女が麻薬中毒の問題に関する活動をやっていた組織に勤めることができ、全てやめられた。

この仕事先で彼女がある男と出会った。彼は人生の半分を刑務所で過ごし、麻薬を注入し、その後、協会に通い始め、そして、このNGOに勤めたということである。彼らは関係が良くなり、お互いを助け合いながら、一緒に暮らし始めた。リリャは組合を作り、麻薬中毒をやめたい人々を助けたいと言うことである。

彼らは数年前から一緒に住んでいる。彼女は重い病気だが、彼は彼女が辛いときいつも支えてくれたりし、一緒に幸せに住んでいる。私は10の運命の内に2つかうまくいったら、それで十分で、非常にうれしい。実際にあったように、麻薬をやめることはできる。強い意志とその目的を達成する自分自身さえ持っていればできる。そのため二つのことしなければならない。神様にお祈りすることか、NGOに勤めて、他の麻薬中毒者に麻薬をやめることを助けることである。

 

 

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